MUNI CARPETS

news letter vol.30 : 世界で愛される永遠のクラシック “Willow Pattern”

2022年5月1日

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今回は、カーペット話題から少し離れ、皆さまに人気のあるblue& whiteの陶磁器に見られる~Willow Pattern~ についてのおはなしです。

    “Willow Pattern(ウィローパターン)”と呼ばれる、染付けのお皿やティーカップを目にされたことがあるのではないかと思います。
実家にあったかも?という方も多いのではないでしょうか。  

 ”Willow Pattern”とは、楼閣、二羽の鳥、柳 (=willow)、まんじ型の垣根、橋、三人の人物、小舟などが配された図柄。その多くが染付(=blue)であることから、一般的に”Blue Willow(ブルーウィロー)”と呼ばれています。 

 その図柄はイギリスの古い詩に基づくなど諸説あり、そのひとつが、親が決めた相手との結婚から逃れた中国高級官吏(マンダリン)の娘が、高級官吏に仕えていた若い書記と駆け落ちする物語説。身分の違う恋に激怒した父に殺されたふたりをみじめに思った神が、ふたりをきじ鳩に生まれ変わらせた、というもの。その物語が描かれていると言われます。  

 ”Willow Pattern”は、欧米の審美眼を通した中国趣味「シノワズリ」を代表するパターンとして世界中で愛されていますが、図柄の発祥地は中国ではなくイギリスであり、いつ頃、誰の手によって案出されたのかは定かではありません。   

 1600年代初頭、中国・景徳鎮の陶器が東インド会社によりヨーロッパへ輸出されました。それらは当時のヨーロッパの王侯貴族の異国趣味に合致し、また、同時期のコーヒー・紅茶文化をも反映し、景徳鎮のカップ、ポット類は大いに人気を博しました。  

 しかし中国の政変の影響により景徳鎮陶器の売買が難しくなった時期がありました。明朝から清朝への王朝交代(1644 年に明が滅亡)がおこり、景徳鎮の製造がストップした時期です。そこで、ヨーロッパでもどうにかして作れないかとの試行錯誤から生まれたのが”Willow Pattern”なのです。1780年代のイギリスではMinton、Wedgwood、Spodeをはじめ多くの陶磁器メーカーがこぞって製作し、海を渡ってアメリカへ、そして日本へも渡ってきました。

日本でのWillow Pattern

 日本においては明治以前から”Willow Pattern”が作り始められていたと言われ、柳模様・柳絵手・柳皿・比翼の皿などとも呼ばれたそうです。

そして大正、昭和期には、多くの陶磁器製造会社が日本製の”Willow Pattern”を欧米向けに大量に輸出しました。 
そのなかのひとつNIKKO。旧加賀藩主・前田家など地元の有力者の出資を受けて1908年(明治41年)に「日本硬質陶器株式会社」として金沢の地で創業したメーカーで、つい最近まで「山水」という商品名で”Willow Pattern”を製造していました。それ以外のメーカーのものについては窯元が明記されず、作られた年代により「NIPPON」「JAPAN」という刻印があったり、刻印の無いものもあります。

 第二次世界大戦後のアメリカ占領下であった1947年から1952年の期間に日本で製造され輸出された商品は、(MADE IN) OCCUPIED JAPAN(オキュパイド・ジャパン:OJ)の刻印がGHQにより義務付けられていたため、この刻印のある”Willow Pattern”も見ることが出来ます。ひとくちに日本製と言っても、時代の変遷を見ることができるのも面白いところです。

Willow Patternが語る「永遠のクラシック」

 かつての欧米から見た東洋の美への憧憬「シノワズリ」を代表する”Willow Pattern”は、いま見ても新鮮で魅力的です。
ここで注目すべきは、物語の内容や、どこの国が発祥かということよりも、「シノワズリ」を代表するこのパターンが、何百年にわたり世界中の人々を魅了し続けているという点です。

そして「シノワズリ」というスタイル自体も、一時的なブームではなく「永遠のクラシック」としてその人気は脈々と続いています。
あのオバマ大統領時代のホワイトハウスのインテリアデザインを手がけたマイケル S. スミス氏をはじめ、世界中のインテリアデザイナーたちによって、「シノワズリ」はハイスタイル・インテリアのスタンダードとして取り入れられています。

 私共MUNIは、そうした洗練された「シノワズリ」に欠かすことのできないフレーバーを、MUNI CARPETSを通して30年にわたり、皆さまにお届けしています。

ザ・スパイス・オブ・シノワズリ MUNI CARPETS。
空間を引き立て、皆さまを優雅に包み込みます。

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news letter vol.29 : MUNI CARPETSの “惹きつけるデザイン”の秘密とは?

2022年4月1日

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 MUNI CARPETSはカーペットを制作する上で、世界的にも貴重である中国の明朝〜清朝初期(16〜18世紀)に宮廷のために作られたクラシカル・チャイニーズ・ラグの文化と美意識を現代に継承するとともに、その文様に込められた古来のひとびとの願いや祈りもまた引き継いでいます。それは私共の誇りとするところでもあります。

そして、お店に来られるお客様にはよく「デザインが素敵ですね!」とお褒めいただきます。
どんなに歴史的価値があり、どんなに素晴らしい素材を使い、どんなに優れた技で作られていたとしても、
そこに【惹きつけるデザイン】がなければ、自分の空間に取り入れたいとは思わないでしょう。


~惹きつけるデザイン~

守 破 離 しゅはり

〝守破離“は、剣道や茶道などで、修業における段階を示したことばです。
どこかでお聞きになったたことがあるのではないかと思います。

「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。
「破」は、他の師や流派の教えからも良いものを取り入れ心技を発展させる段階。
「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。

もとは千利休の訓をまとめた『利休道歌』にある、「守り尽くして破るとも離るるとても、もとを忘るな」を引用したものとされています。

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 MUNIにおける「守」は、「東洋の美の源流」である中国で生まれた、クラシカル・チャイニーズ・ラグの文化と美意識、文様。
ここにオーナー・楠戸の日本人の感性によるフィルターがかかることにより、明の時代に生まれたアンティーク作品をふるいにかけ、さらに文様ひとつひとつを選別し、楠戸の目に叶うものだけを編集(音楽でいうサンプリング)してオリジナルをより昇華させ(=「破」)、
オリジナルとは良い意味で似て非なるMUNI CARPETSという新たなものを生み出す(=「離」)。しかし決してオリジナルを忘れることはない。
最後の、「もとを忘るな」というのが重要なところであり、今までもこれからも見失ってはいけない部分です。  

 この在り方がMUNIのデザインをMUNIたらしめ、一般的な中国段通やペルシャ絨毯など中東の他のカーペットとの違いと言える点であるように思います。

 そのまま海外から輸入されたものではなく、日本人である楠戸の目によって本物の美を追求し生み出された作品は、「なんか気持ちに馴染む」「どんなインテリアにも合う」というお声も伺います。  

 この美を追求するためのフィルターは、言い換えれば、素材の味を損ねず、前面に出ないながらも素材の良さを最大限に引き出すスパイスのように随所に効いています。

美は細部に宿る

  MUNI CARPETSの全てのデザインは楠戸が立案・デザインし、工房の下絵師が実物大の下絵を方眼紙に手描きで制作します。カーペットの1目ともなる方眼紙の1目は3mmであり、その方眼に沿って描かれます。  
あがってきた下絵を、楠戸自身が細部にわたって確認し、何度も修正しながら完成させます。

 例えば、上の写真にある、方眼紙に描かれた唐草の弦の先端。
修正を重ねて完成した曲線には、先端にまで神経が行き渡るバレリーナの指先のように、命が吹き込まれます。
そして、そのように描かれた唐草は、方眼の1目単位で織ったのでは滑らかな曲線に仕上がらないため、0.5目単位で織っていきます。

 ほとんどわからないくらいの、もしくは、そこまでするの?というこだわり。
かつ、0.5目単位というのは職人泣かせのオーダーであり、熟練の職人にしかできない技巧なのですが、その小さなこだわりが、野暮な仕上がりとなるか、シャープとなるかを大きく分かちます。
伝統的なデザインをただ描くのではなく、いかに生き生きと描くかは、楠戸が常にこだわっているポイントです。
唐草も、優雅に舞う蝶も、まるで動きだしそうに見えませんか?


透明感と洗練を加える色

 どの色の糸を使うか?これも楠戸のこだわるポイントです。
下の黄色地のラグには、ターコイズブルーのラインを一本入れています。この色が入ることで、伝統的な文様に透明感と抜け感が加わり、全体として洗練されたモダンな仕上がりとなっているのです。

 次は、こちらのTの形をした雷文にご注目ください。
濃いブルー、薄いブルーの隣に細い白い線がすっと一本入っているのがご覧になれますか?この、判るか判らないかくらいの白い線が入るだけでT字の雷文が浮かびあがります。

 同じ系統の糸でも何段階もの色があります。
糸の段階ではほとんど差が判らないのですが、織りあがりを想像し、ひとつの花の中にグラデーションをつけ、奥行をつくる。そんなこだわりも欠かせません。

  「そんなこだわり、気づかなかった!」そう仰って頂けたら、、、制作者冥利につきます。 
「伝統的なのに新しいよね」「理由はわからないけれど、なんか好き!なぜか惹かれる」そう思っていただけるために、これからもデザインへのこだわりは続きます。


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news letter vol.28 : 幸福の使い こうもり

2022年3月2日

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 先日来店された7歳のお客様が、「あっ、バットマンがいるっ!」と仰いました。
そうなんです、MUNIには、正義の味方ならぬ幸福の使いである、こうもり(バット/bat)モチーフのラグがいくつかあります。

 今回は、日本でも企業のロゴマークや家紋などに使われている吉祥紋である「こうもり文様」についてのお話です。

 個人的には、都会での日常生活のなかであまり見かけない気がするのですが、こうもりは南極大陸以外の全大陸と海洋島に分布し、世界中で約1000種が棲息しているそうです。

世界各地での「こうもり文様」をご紹介していきましょう。

 まず最初はこちらから。カリブ海に浮かぶ国キューバでは、こうもりが健康、富、家族の団結などをもたらすと古くから信じられており、同地で創業した世界的ラム酒メーカー「バカルディ社」のロゴマークに、こうもりが採用されています。
創業者の奥様が、ラムの原料、サトウキビの香りに引き寄せられて蒸留所に棲みついていたフルーツこうもりを発見。幸福や健康の象徴であったこうもりが、バカルディ・ラムの“顔”にふさわしいと採用したのだそうです。

出典: Bacardi社ホームページ

 そして中国では、中国語で「こうもり(蝙蝠)」 (biānfú) の音が「福が偏り来る」を意味する「偏福」 (biānfú) に通じるため、幸運を運んでくる動物として愛されてきました。100年以上生きたネズミがこうもりになるという伝説もあり、長寿のシンボルでもあります。とりわけ、赤(紅)い蝙蝠は、「紅」と「洪」の音が同じことから、洪れる(あふれる)ほどの幸福=「洪福」(hóngfú)を意味し、磁器などの図柄によく見られます。

出典: 東京国立博物館 特別展『吉祥-中国美術にこめられた意味』図録

 

 日本でも、西洋よりも中国の影響を強く受けていた明治中期ごろまでは、縁起の良い動物として企業のロゴマークや家紋などに使われていました。川辺や橋の下などに住んでいるため「川守」と呼ばれることもあったようです。 中国と交易が盛んだった長崎発祥の老舗カステラ店福砂屋さんのロゴマークにもなっていますね。こちらをご覧になった方は多いと思います。

出典: 福砂屋ホームページ

 また、日本石油(現ENEOS)さんは、1888年(明治21年)の創業時、創立記念式典の会場内に一羽の蝙蝠(こうもり)が舞い込んで来たことから、「日本」の文字を蝙蝠に模してデザインしたマークを商標とし、「蝙蝠印石油」の商品名で製品販売を行っていました。
これをご記憶の方は、、、かなりマニアックかも知れません。

出典: ENEOS facebook

 様々に取り入れられているこうもり文様をご紹介いたしましたが、ご覧になったことのあるものはありましたか?

こうもりは夜行性なので、気が付かないだけで、、実は身近にいるのかもしれませんね。  

折しも、3月11日にバットマンの新しい映画『THE BATMAN-ザ・バットマン-』が公開されるそうです。
映画や映画の宣伝をご覧になったときにMUNIのラグに遊ぶ蝙蝠たちをちらりと思い出して頂けたら嬉しいです。  

また、ご自身の家紋が「こうもり紋」の方や、身近な「こうもり文様」情報がございましたら、是非ともMUNI南青山店までお寄せください(笑)。お待ちしております!


■「文様のあれこれ」vol.1およびvol.2のアーカイブはこちらから。
Vol.1  https://muni.co.jp/blog/4220/
Vol.2  https://muni.co.jp/blog/5466/

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news letter vol.27 : そこに住むひとを思わせる部屋

2022年2月2日

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『AD Japan』という雑誌

 お客様から、「オーナーの方は日本人なのにどうして中国のじゅうたんを自ら復活させようとしたの?もともと中国と深い関係があったの?」とご質問を受けることがあります。  

答えは、「否」です。

  倉敷の老舗呉服商の家に生まれたオーナーの楠戸は、むしろ中国やアジアに対してほとんど興味はなく、アメリカやヨーロッパの音楽やファッション、インテリアに傾倒していた若者だったのです。

 そんな楠戸のバイブル的存在だったのは、『AD Japan(アーキテクチュラル・ダイジェスト・ジャパン)』という雑誌でした。1920年にアメリカで創刊された最も権威あるインテリア誌『ARCHITECTURAL DIGEST』(以下;『AD』)の日本版として、1983年から1985年のわずか2年間のみ福武書店(現・ベネッセコーポレーション)から出版されていた、今となっては幻の雑誌です。  

 この雑誌は、作家フランソワーズ・サガンやデザイナーのヴァレンティノ・ガラヴァー二、俳優のシルベスター・スタローン、画家のデビッド・ホックニーなど各界セレブリティの邸宅の美しいインテリアを紹介した本誌記事の翻訳を主体に、日本版ならではの日本の著名人の邸宅紹介、そして白洲正子氏、朝吹登水子氏、松山 猛氏、金子國義氏、中村紘子氏などなど超豪華メンバーによるコラムで構成されていました。 

 そしてインテリアの紹介は、アメリカ版を踏襲した形式で、あくまでもその家の主人にフォーカスし、人生のストーリーとともに、インテリアにどう反映されているか、どういう想いで部屋創りをしているかというところにポイントを置いています。 

 楠戸は、「その人生が創り出した、その人自身の表れたインテリア」 がインテリアの神髄であることを、『AD』が教えてくれた、と言います。そして、楠戸がアンティーク・チャイニーズ・ラグを最初に知ったのは、実はこの『AD』だったのです。

出典:AD Japan No.7,  MAY 1984

 カーペットという「もの」としてではなく、手織り絨毯を床に敷く意味、つまり「床で贅沢をする」ということ、そしてその家の主の人生とともに洗練されたインテリアを生むクラシカル・チャイニーズ・ラグが、それは美しく素敵に映りました。
あくまでも主役は「ひと」であり、そこには、西洋のモダンスタイルと、東洋の伝統美が融合したインテリアのお手本がたくさんありました。

もし、『AD』との出逢いより前に中国の故宮博物院で目にしたとしたら、楠戸がクラシカル・チャイニーズ・ラグに関心を持つことはなかったかもしれません。
『AD』に魅了されていた2年間があったからこそ、初めて訪れた香港で、楠戸は長年の憧れであったアンティーク・チャイニーズ・ラグと出逢うことができ、”クラシカル・チャイニーズ・ラグ”と呼ばれる、明朝末期から清朝初期に宮廷に献上された幻の絨毯の存在を知ることにつながります。


MUNIという社名

 スタッフが名刺をお渡しすると、私共の社名、”有限会社 無二” をご覧になって皆さま驚かれます。
これは“唯一無二”という言葉から、35年前に楠戸が名付けたものです。

「もっとも美しい生活空間」それは、インテリアのためのインテリアではなく、生活に潤いを与え、人生を豊かにするための空間。
「そこに住む人、その人生が創り出した」 ものがインテリアだとすれば、世の中には、全く同じインテリアは存在し得ません。

 主(あるじ)が居なくても、その空間を見ただけでそこに住むひとを思わせる部屋。
それは、そのひとが歩んできた軌跡をあらわす空間かも知れませんし、「空間がひとを作る」ということばがあるように、もしかすると「こうありたい」という主の想いを投影した空間かもしれません。いずれにしても、他の誰とも違う空間に違いありません。
旅先や家族との思い出にまつわるものなど、そのときどきの思い入れあるものを選び、長く使っていくことで、そのひとならでは「唯一無二」の、豊かなものになっていくのです。

 何千年という歴史と上質なクオリティに裏打ちされ、時間とともに美しい艶と風合いを増していくMUNI CARPETSが、あなたの人生に寄り添い、あなたのインテリアのストーリーを一緒に紡ぐことができれば大変光栄です。


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news letter vol.26 : 2021年のご挨拶に替えて

2021年12月29日

 私、楠戸 謙ニが、一度は滅びたクラシカル・チャイニーズ・ラグの復興プロジェクトをスタートさせたのが1989年。
以来32年、私共MUNI CARPETSは、ディレクションから糸作り・染め・織り・仕上げまでを全て自社で行い、世界で唯一クラシカル・チャイニーズ・ラグを継承しています。この厳しいコロナ禍の状況においても工房を維持し、クラシカル・チャイニーズ・ラグの伝統を守り続けてこられたのもお客様お一人一人のご愛顧があってこそと心より感謝申し上げます。

“工房を運営することは 一人ひとりの職人の心を育ててゆくこと。”  

 MUNI CARPETSのロゴに冠しているZhang & Kenjiに示す工房運営の責任者であるパートナー Bill Zhang(ビル・チャン)は、クラシカル・チャイニーズ・ラグの世界的価値、それを継承することの意義、そして彼らの仕事がいかに誇るべきものであるかを職人達に伝え続けています。

写真右下:Bill Zhang



「日本と中国、二つの国の二人の個人として、
責任を持ってこのプロジェクトを進めようと決めました。
なぜなら、私たちは絨毯という伝統文化の重要性を他の誰よりも知っているからです。
 伝統とは単なる職人の技術だけではありません。
先人の精神性をも汲み取り、受け継いでゆくこと。それが伝統を守ることだと思います。
21世紀の今だからこそ、伝統を守り続けてゆく。それが私の夢なのです。」

By Bill Zhang

かけがえのない支え

 私共MUNIは、こうした伝統文化の素晴らしさを、現代生活の中で欠くことのできない「心の豊かさ」としてMUNI CARPETSで表現することによって、「作り手と皆さまを繋ぐ」ことが私共の使命と考えています。

 その意味において、皆さまにお求め頂き、日常のなかで御愛用頂くことがそのまま、クラシカル・チャイニーズ・ラグの貴重な歴史を次の世代へ受け継いでいくかけがえのない支えとなります。この世界的な文化芸術の継承に参画して下さることに、改めまして心からの敬意と感謝を申し上げます。

 2022年も、MUNI CARPETSを通してクラシカル・チャイニーズ・ラグの伝統文化の魅力を発信することで、作り手と、皆さまを繋ぐ役割を果たしてまいります。

 今年も残すところわずかとなってまいりました。
皆さまどうぞ、穏やかで暖かな年末年始をお過ごしください。
皆さまと、皆さまの大切な方々のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げております。


2021年12月29日
MUNI CARPETS
楠 戸 謙 二

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news letter vol.25 : エントランスラグで新年を素敵な年に

2021年12月1日

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91×183cm Design No.009A

 新年を迎えるにあたり、お家の中の様々なものに新しい息吹を取り入れる方も多いことと存じます。
たとえばエントランス。家族や友人を迎えるエントランスはお家の顔であり、外と内を分ける大切な場所です。


 MUNIでは、「幸福」を呼び込む文様のエントランスラグを多数取り揃えています。
たとえば上記画像Design No.009Aの文様:「蓮」は、たくさんの種を実らせる生態や、「蓮」と「連」が同じ発音であることから繁栄の意味が込められています。 
 また、風水的にも、昔から玄関の敷物は“邪気を払うもの”とされています。
自然素材の上質な敷物を敷くと、その敷物が外から受けた不浄なものを落としてくれるのだそうです。欧米でも、玄関ホールにはランナーを設えたりと、玄関にラグは欠かせない存在です。 MUNIの吉祥文様のエントランスラグで「福」を呼び込む準備はいかがでしょうか。


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news letter vol.24 : カーペットにまつわるお話 「宮廷献上品から美術館へ~そして“使うことが出来る美術品”へ」

2021年11月1日

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MUNI CARPETS  Imperial Line/  Design No. 021/ 明式如意文氈 

|宮廷献上品から欧米へ、そして美術館へ

 永い中国絨毯の歴史のなかでも一際気品に満ち、洗練された絨毯の一群。それが、日本の美術工芸にも深く影響を与えた明朝末期から清朝初期(16~18世紀)に宮廷への献上品として製織されていた、「クラシカル・チャイニーズ・ラグ」と呼ばれる幻の絨毯:MUNI CARPETSのルーツとなるものです。宮廷の中の限られた人物しか使用することが出来ない、大変希少なものでした。

 20世紀に入り、清王朝が衰退し、欧米列強によって陶磁器や絵画などの宝物と共に持ち出されたクラシカル・チャイニーズ・ラグは、欧米で初めて紹介されるやいなや上流階級の人々に羨望の眼差しで迎えられ、瞬く間にステイタスシンボルとなりました。それまでペルシャ絨毯を中心とした中東の絨毯しか目にしたことのなかった彼らにとって、その品格ある東洋の美は新鮮でモダンに映りました。その中には芸術家 ルイス・カムフォート・ティファニー、ファッションデザイナーの ココ・シャネル、建築家 フランク・ロイド・ライト、 実業家ジョン・D・ロックフェラーなどトップクリエイターやセレブリティーらが名を連ね、彼らのステイタスを表現する大切なアイテムとして用いられました。

『CLUTCH Magagine』 2017年10月号より

  このように時代を超えて世界を魅了したクラシカル・チャイニーズ・ラグですが、19世紀以降は次第にその東洋の伝統美が失われ、天津段通に代表される輸出用の商業主義のデザイン、機械や化学染料を使った大量生産によって、本来の伝統美を受け継ぐラグとは異なるものとして世界中に広まっていきました。  
16〜18世紀に制作されたクラシカル・チャイニーズ・ラグは、現在では世界の宝として、欧米の有名美術館に所蔵されるのみとなりました。

  欧米においては、手織絨毯は”美術品”に値します。クラシカル・チャイニーズ・ラグのみならず世界各地の逸品は、染織芸術品として欧米の名立たる美術館に収蔵されています。ニューヨークのメトロポリタン美術館や、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館に行かれたことがある方も多いと思いますが、これら美術館は、世界中の希少な染織品の収蔵においてその名を馳せており、現代の私たちにその美しさを伝えてくれています。

|美術館収蔵品から、“使うことができる美術品”へ

メトロポリタン博物館にて。オーナー楠戸謙二。

 MUNIの成り立ちは、この世界的に貴重な染織文化を現代に蘇らせ、受け継ぐために事業を始めたことでした。往時の作品をより忠実に再現するためにアンティークの作品をMUNI独自に蒐集し、また一方でメトロポリタン美術館、ワシントンのテキスタイルミュージアム、北京故宮博物院などの協力を得て制作技術や文様の調査を行い、歴史研究をもとに長年制作を行ってきました。  このような調査研究と試行錯誤の末、手紡ぎや植物染料による染色、手結び等の伝統技術を蘇らせることに成功しました。また更にそうした伝統技術をブラッシュアップし、日本人の感性と美意識を吹き込むことで、現代の日本の生活のなかでより美しくモダンに、そして安全に心地良くお使い頂ける上質なカーペットとして、MUNI CARPETSは誕生しました。  ミュージアムピース(美術館収蔵品)であったクラシカル・チャイニーズ・ラグに息を吹き込み、“使うことのできる美術品”として生まれたのがMUNI CARPETSなのです。

 冒頭でご紹介した画像:Design No.021「明式如意文氈(Ruyi Cloud rug)」は、MUNIのなかでも特別な一枚。かのココ・シャネルもパリ カンボン通りの自身のサロンで使っていたこのデザインは、世界中のラグフリークの間でとりわけ珍重されているとともに、オーナーの楠戸謙二がメトロポリタン美術館にて調査研究の末に再現に成功した、特に思い入れのある一枚だからです。  「世界的に重要な伝統工芸の再生の成功を祈ります。」メトロポリタン美術館の東洋染織学芸主幹、故ジーン・マイリー氏から楠戸に宛てられた温かい励ましのメッセージは、今も楠戸の強い支えとなっています。

 かくして生まれた“使うことのできる美術品”が並ぶMUNIの店舗は、店というよりも、むしろ美術館としての位置づけといっても過言ではありません。
是非「美術館を訪れるように」、お気軽にMUNIの店内をお愉しみください。
美術館を後にするときに味わう感覚と同じように、必ずや、皆様の知的好奇心を刺激する嬉しい発見があるはずです。


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news letter vol.22 : カーペットにまつわるお話 ~「明」の美意識~

2021年9月5日

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「明」の美意識   Ming Style

 永い中国絨毯の歴史のなかで一際気品に満ち、洗練された絨毯の一群。それが、日本の美術工芸にも深く影響を与えた明末期から清初期(16~18世紀)に宮廷への献上品として製織された「クラシカル・チャイニーズ・ラグ」と呼ばれる絨毯であり、MUNI CARPETSのルーツです。

|明の時代背景 

 「明(みん)朝」は、モンゴル帝国の末裔である「元(げん)朝」に代わって、漢民族が興した王朝です。時代にすると1368年から1644年。300年程続いた最後の漢民族の王朝で、日本では室町時代・安土桃山時代・江戸時代にあたります。
 1644年に少数騎馬民族である満州民族の清王朝が台頭するまでの300年間に、中国の文化芸術が洗練の頂点に達したと言われます。
なぜなら、中国の長きにわたる歴史の中で、代々の漢族の文化を継承しながら進化した文化の結晶だからなのです。



|普遍的な明スタイル 

    「簡素美」という表現に代表される明の美意識は文人文化が色濃く表れています。明時代の文人  文 震亨が著した《長物志》には、「雅」と「俗」、今風に言うと「イケてる」「イケてない」で表現したライフスタイルが綴られています。この時代にそんな本があったとは驚きです。
当時先進国であった明の芸術文化は、日本人にとって憧れでした。
 明の陶器、裂(きれ)や書画は日本の茶人や戦国大名たち垂涎の的となり、現代の茶道界においても、「唐物(からもの)」「名物裂」として珍重され続け、日本文化に浸透してゆきました。

明の美意識は、知らず知らず現代日本人のDNAに入り込んでいると言ってもよいでしょう。クラシカル・チャイニーズ・ラグをルーツとするMUNIのラグが日本の皆さまに親しみを感じて頂ける所以です。

名物裂:大徳寺弧篷庵蔵


|モダンデザイン不朽の名作の元は…

 明の「簡素美」を体現した家具、とりわけ官吏(官僚)たちが使った実用的な椅子は、ヨーロッパにも影響を与えました。 デンマークの家具デザイナー・ハンス J ウェグナーは、1943年に明の「圏椅(チュェン・イ)」という椅子を本で目にしてインスパイアされたと言われています。圏椅は、官吏が座っていた椅子で、英語では、circle back chairまたはhorse-shoe armchairと呼ばれます。 

明の「圏椅(チュェン・イ)」


 ハンスJウェグナーが圏椅をリデザインし1945年にフリッツ・ハンセン社から発売された「チャイニーズチェア」は、その後も何度となくリデザインを繰り返し、現在ではコレクターズアイテムとなっています。

チャイニーズチェア__ 出典:『DANISH CHAIRS』 by Noritsugu ODA



 このチャイニーズチェアを元にさらにシンプルにすることで、1950年、ウェグナーの求めた形にたどり着きました。
背面の支柱がYのような特徴的形状であることから通称: Yチェアとして親しまれ、モダンデザインの不朽の名作となったのです。

 Yチェアの美しい形の元をたどれば、 明の美意識に辿り着きます。
一時的な時代のブームではなく後代まで、国を越えて影響を与え続けているのが、明のスタイルです。

Yチェア __ 出典:『DANISH CHAIRS』 by Noritsugu ODA




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news letter vol.21: カーペットにまつわるお話 ~世界で愛される装飾文様 “雷文”~

2021年8月1日

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 この文様は、【雷文】(らいもん)と呼ばれる文様であり、雷=稲妻を表しています。
単独ではなく、連続させてボーダー(縁取り)の装飾文様として用いられます。
古では恵みの雨を天に願ったことから、稲妻は雨をもたらし、万物への恵みをもたらすという意味が込められています。

ヨーロッパにおける雷文

 雷文は、中国はもとより、ギリシア、ローマの建築物や調度品などに多く取り入れられている普遍的なもので、
“Greek key(グリーク・キー)”または“Meander (メアンダー)”と呼ばれ、世界的に愛されている装飾文様です。
新石器時代にバルカン地方のドナウ川流域のトリポリエ文化・ディミニ文化において土器の装飾文様として始まり、
ギリシアの幾何学紋様として開花しました。

“Greek key”または“Meander” が意味するのは、雷の場合もあれば、基本方位(東西南北)や四季を表したり、
あるいは、友情・絆、永遠を表す場合もあります。
「萬字」文様と組み合わさっているもの(swastika meander pattern)も多く見られます。

パリの凱旋門にあしらわれた雷文
大理石の床、椅子やキャビネットの飾りなどなど
出典: 『THOMAS PHEASANT   SIMPLY SERENE』
ローマモザイクや、壺の図柄など、随所に見られます。
出典: 『THE MOSAICS OF JORDAN』
建物の装飾 (写真はHERMES東京・丸の内店)


日本における雷文

 1910年に日本で最初の中華そば(ラーメン)店がオープンしたときのこと。
当初は和食用のどんぶりを兼用していたらしいのですが、次第にラーメン人気が広がり、浅草・かっぱ橋にある九谷焼を扱う陶器卸専門店に「中華らしい器を作って欲しい」と依頼したところ、陶器店の店主が、試みで器の淵に【雷文】を施したのだそうです。すると、ラーメンの普及とともに、雷文を施したどんぶりも日本中に広まったと聞きました。
このことが発端となり、日本においては、「雷文=ラーメン」という図式がすっかり定着しているのですから、驚くべき影響力です。

 しかしながら、ラーメンの普及の遥か前、室町時代から、日本では家紋として雷文が使われていました。そのバリエーションは、48種にも及びます。家紋は日本が誇る素晴らしいデザイン文化ですね。その発想、完成度の高さ、そしてユーモアには目を見張るものがあります。

稲妻紋のバリエーション 出典: 『日本の家紋大全』


| クラシカルチャイニーズラグにおける雷文

 改めて、MUNIのカーペットにおける雷文を見てみましょう。
カーペットを引き締めるボーダー(縁取り)として、こちらにも、あちらにも、雷文。太いものあり、細いものもあり。
その全てに、豊穣への願いが込められています。



| 番外編

 先日、東京の浅草に行きましたら、橋の欄干に雷文があり、ついパチリと撮りました。有名な雷門(かみなりもん)の近くなので、その繋がりかも知れません。

吾妻橋の欄干

 街中で気にしながら見ていると、日本でも意外にたくさんの雷文を発見することが出来ます。
この夏、ゴロゴロゴロゴロ、、、と雷鳴が轟いたら、豊穣への祈りを込めた雷文を思い浮かべてください。
今回も、最後までお読み頂き、有難うございました。


■2021年2月1日号にて、「文様のあれこれ」vol.1の特集を組みました。
併せてご覧くださいませ。
https://muni.co.jp/blog/4220/


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news letter vol.20: カーペットにまつわる話 ~一枚のカーペットが出来るまで~

2021年7月1日

MUNIでは、月に1度から2度メールマガジンをお届けしています。
その内容をこちらでも紹介させていただきます。


 MUNI CARPETSは “モダン・シノワズリ” をコンセプトに、東洋の美の源流である中国の明朝末期から清朝初期に作られた最高峰の絨毯(クラシカル・チャイニーズ・ラグ)の製法と伝統美を蘇らせ、現代に合わせてアップデートしています。  
 そのなかでもとりわけ、伝統文化の継承と技術の向上を目的とし、図案、染色、織りの各分野で専門チームを組み、明代・清代の技術や意匠を調査研究し、試作にも長い時間をかけて限定作品として特別に制作しているのが、MUNIの「The Imperial Line」です。

 Imperial Line のDesign No.125「万歴龍」の制作を例に、一枚のカーペットが出来上がるまでを辿ります。
なかなか旅行が難しいご時世、想像の“ショートツアー”に皆さまをお連れしましょう!

【出逢い・インスピレーション】

 MUNI CARPETSのアートディレクションは、一枚一枚すべてオーナー・楠戸謙二が手がけます。
永年に亘り研究を重ねてきたクラシカル・チャイニーズ・ラグの美しさを熟知した上で、楠戸自身の美意識のもと、”クラシック”の中から”モダン”を抽出し「時空を超えた新しさ」をコンセプトとしてディレクションを行っています。  

明朝末期から清朝初期のクラシカル・チャイニーズ・ラグの文様を忠実に再現していくにあたり、そのインスピレーションの源は、書籍のなかのモノクロ写真のこともあれば、現存する実物から得ることもあります。 
今回例に挙げるDesign No.125 「万歴龍」の場合は後者、実際に北京の紫禁城で使われていた実物でした。

2009年 紫禁城にて Bill Zhang撮影

 2009年楠戸は、北京の故宮博物院にて、かつて明の王宮を飾っていた巨大なカーペットを目にする僥倖を得ました。それは、時を経てもなお色鮮やかで、いまにも動き出しそうな二匹の龍の文様。五つ爪の龍は、まぎれもなく皇帝が使っていた証です。 
この五つ爪の龍を、どうしても自らの手で蘇らせたいと強く思ったのです。

【考証】

 この龍のカーペットは果たしてどの年代に作られたものなのか?
時の権力者(皇帝)の好みによって柄行に特徴があるため、同じ年代に作られたであろうカーペットを検証することなどで、時代考証をしていきます。完全な形で残っていることは稀有なため、検証対象は残欠であることもあります。
 染料が褪せて判別できない場合には、この部分の文様は何かを探るため、歴史文献にあたらなくてはならないことはしばしばです。

どんな色の何が描かれていたのかが想定されたあとは、果たして何の染料をどのように使ったかの検証です。

北京故宮博物院 研究室にて
右から2番目:工房パートナーBill Zhang、右端:オーナー楠戸 謙二

【下絵】 

 全てのデザインは下絵師により実物大の下絵を方眼紙に手書きで制作します。巨大なオリジナルのサイズから、サイズ調整をし、実際床に置いた目線や様々な角度から確認しながら1年から3年の時間をかけ下絵を完成させます。このとき、使う色も書き込んでいきます。下の画像の中にある「973」「801」というのは色見本の番号です。

【染め、織り、仕上げ】 

 染め出したい色に向け、藍、蘇芳(すおう)、槐(えんじゅ)、梔子(くちなし)など古来用いられてきた植物染料のみを使い、手で紡いだプレミアムウールを染めます。
自然相手ですから、なかなか意図した色が出てくれません。

染めの次の工程は、織り。
MUNI CARPETSの織りは、2000年以上前から受け継がれてきた「手結び」による製法です。
経糸に対してひと結びずつ手結びで織り上げていく、気が遠くなるような作業です。
手結びによるカーペットは、欧米では「最高峰の製法」と言われており、現在でも、この技術を越える製法はありません。

 原寸大の図案と、色糸番号指定を細かく記した指示書が織りの職人に手渡され、職人は、指示書に忠実に織り上げていきます。
今回のカーペットのサイズ(183×274cm)の場合、織りだけでも1年近くを要しました。

 

 織り上がったカーペットを機(はた)から降ろしたら、何度も何度も洗い、表面を刃物で整えます。表面を滑らかにするのには一般的に化学薬品や電気器具が使われますが、MUNIでは、ウール本来の色としなやかな質感を損なわないよう、敢えて刃物だけで職人の指先の感覚で整えていきます。

  フリンジ(房)を整え、防虫のためのクヌギの樹液を施してようやく完成です。着想から丸4年超。明時代の宮廷の奥深くに眠っていた龍が、現代に活き活きと蘇る、感激の瞬間です。 多くの人の手と膨大な時間の結集により、MUNI CARPETSの制作が成り立っているのです。

現代に蘇った、明時代の「万歴龍」(183×274cm)


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