MUNI CARPETS

news letter vol.42 : MUNIのモダンさはどこから?

2023年5月1日


MUNIでは、月に1度メールマガジンをお届けしています。
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 MUNIにお越し下さるお客様や、お求めいただいたお客様からは、光栄なことに「モダンね!」「どんな空間のインテリアにも合いそうね」などとお褒めのお言葉を頂戴しています。
そこで、今回はMUN CARPETSのモダンさと現代性にスポットを当て、深堀りしたいと思います。

Asian gallery, Metropolitan Museum of Art

| MUNI CARPETSのルーツ、明という時代

 MUNI CARPETSは、“クラシカル・チャイニーズ・ラグ”と呼ばれる、中国の「明(みん)」の時代の宮廷への献上品として製織されていた品々をルーツとしています。

「明」の時代と聞いて、どんなイメージを持たれますか?
1368年から1644年までですから、「かなり前」というイメージかと思います。

「明(みん)朝」は、モンゴル帝国の末裔である「元(げん)朝」に代わって、漢民族が興した王朝。300年程続いた最後の漢民族の王朝で、日本では室町時代・安土桃山時代・江戸時代にあたります。
1644年に少数騎馬民族である満州民族の清王朝が台頭するまでの300年間に、中国の文化芸術が洗練の頂点に達したと言われます。

© MUNI CARPETS 2023


 明代は、「文人」と呼ばれる人々が隆盛を極めた時代でした。
文人とは、士大夫(したいふ)つまり近代以前の中国における政治的・文化的支配者たる高級官僚および官僚予備軍のことで、儒家としての人文的教養を身につけ、支配的・指導的な立場にある人物たちのことを指しました。

文人は王侯・貴族・官僚・地主・地方豪族などの支配者的な階級・地位の出身者がほとんどで、彼らが私的生活において見せる姿が「文人」であり、詩人的要素、書家的要素、画家的要素などなど趣味人たる教養をすべて内包していました。

| 明代のインテリア指南書

 そんな時代に、“インテリア指南書”を著した人物がいました。文 震享(ぶんしんきょう)という、中国の代表的文人です。

 “雅(が)”と“俗(ぞく)”というのが彼ら文人のものごとの判断基準であり、知識階級の生活文化の基本的文献としての書物である『長物志(ちょうぶつし)』には、建築、設え、家具・調度品、書画、香、庭木、衣服そして乗り物に至るあらゆるものについての項目があり、「これはダメ、これは使い物にならない」という、ストイックなまでの日常の美学、生活の美学が著されています。

明代にすでに、そのような概念、美学が存在していたこと自体が驚くべきことです。
”雅(が)”は、いまで言うエレガント、上品という意味を持ちます。

| 明代の美意識で作られた絨毯

Frank Lloyd Wrightの自邸に敷かれたClassical Chinese Rug

『長物志(ちょうぶつし)』には、絨単(絨毯)の項目もあります。
その意味するところは、明代に作られた絨毯は、絨毯単体で完結して作られたものではなく、「洗練された空間に合うように」という視点で作られているという点です。
その洗練された美しさは、遊牧民や家内製によるものではなく、確固たるアート・ディレクターが存在し、その指示のもとに、しかるべき工房で制作されたことにより生まれてきたのです。

明代のモダンさは、20世紀のフランク・ロイド・ライトやココ・シャネルの部屋のインテリアに、そのままタイムリープ(Time leap)し、時代を越えていまなおモダンに映ります。

 そのルーツを継承しているMUNI CARPETSが、現代の空間にフィットするのは偶然なことではなく、作られた経緯からすれば当然の理(ことわり)なのです。
十分な存在感を持ちつつも、空間を引き立てるために計算しつくされた美。
流行ではない、トラディショナルでタイムレスな美。
それが、MUNI CARPETS。
皆さまに”モダン”と感じて頂ける所以です。

MUNI CARPETS Design No.062


(参考文献)

『長物志1  —— 明代文人の生活と意見』
『長物志2  —— 明代文人の生活と意見』
『長物志3  —— 明代文人の生活と意見』   文 震享 編  荒井 健 他訳注  平凡社

『VIRATA COLLECTION OF ASIAN ART: A FAMILY LEGACY』 —CHRISTIE’S auction catalogue—

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news letter vol.40 : MUNI CARPETSのBlue & White

2023年3月1日


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 様々な魅力的な色が存在する中、季節感やトレンドに左右されない、普遍的な色があります。
その代表格が、Blue & White。
17世紀に中国から青花(チンホァ)の陶磁器がヨーロッパに伝わることによって、その美しさと、エレガントな佇まいと東洋への憧れも纏い、王侯貴族のステイタスシンボルとなり、それはただ色としてだけではなく、スタイルとして世界中に広がりました。そして現代でも世界中の憧れでもあり、普遍的な配色・スタイルとしてインテリアやファッションに影響を与え続けています。

Gucci Resort 2017 Collection | Vogue

 その青絵付けの磁器のようにラグジュアリーで繊細な、MUNI CARPETSのBlue & Whiteの世界。そのカーペットは、どのようにして生まれて来るのでしょう。改めてその奥深さと魅力に迫ります。

|MUNI CARPETSを象徴する色: Blue

 お客様から「MUNIさんだったら藍色よね!」とおっしゃっていただけるほどMUNIの“Blue”は象徴的な色で、私どもにとっても創業以来最もこだわり抜いた色でもあります。
そのMUNIの“Blue”は、他ならぬ天然の藍から生まれるBlueなのです。
藍甕で発酵させた天然藍で染めこんだ深みある美しい色を、私どもは誇りを込めて『MUNI BLUE』と呼んでいます。

 染料となる藍は、馬藍(マーラン)と呼ばれるキツネノマゴ科の藍で、契約農家によってMUNI(漢氈居)専用の畑で大切に栽培されています。藍葉の新芽の部分だけを摘み取り、今では希少となった古来の製法「沈殿法」でその色素を抽出します。

 その後、沈殿藍は工房に運ばれ、化学薬品ではなく酒や麩(ふすま)を使う古来の製法により、実際に染められる状態になるよう、自然発酵させる製法、即ち藍建て(あいだて)を行います。

 甕覗(かめのぞき)のように淡くはかない水色ムーンライトブルーから、鉄紺(てつこん)の様な深く華やかな藍色ミッドナイトブルーまで様々なトーンのBlueを染め分けるのは、中国・蘭州にあるMUNI CARPETSの工房『漢氈居(かんせんきょ)』の職人たちによる、長年の経験と熟練した仕事の成せる技なのです。

MUNI(漢氈居)専用の畑で大切に栽培されている藍葉
MUNI(漢氈居)専用の畑で大切に栽培されている藍葉

 手間と時間をかけて作られた藍(染料)で染めこまれたウールは、藍特有の深い香りをほのかに放ち、酸素に触れるほどにその色は円熟みを増していきます。

藍で繰り返し丹念に染められ、円熟みを増していく


|MUNI CARPETSのWhite

 全てのMUNI CARPESのベースとなる、ナチュラルホワイトウールは、かつて宮廷絨毯に用いられた、世界でも大変希少な最上級のウール・灘羊(タンヤン)のもの。

その昔は塩池であったこのエリアに自生する甘草(かんぞう)を食むことによって蓄えた美しい羊毛は、繊維が細く長い、カシミアグレードの15ミクロン以下。
しかも、光を反射してキラキラときらめくほどの透明感があり、繊維に含まれる油分が大変上質なため独特のしっとりとしたぬめり感があります。

中国固有種の灘羊(タンヤン)。透明感ある艶が真骨頂


 MUNIでは、春から夏にかけてミネラル分たっぷりの草を食み蓄えたウールを秋に刈り取る成羊のオータムウールと、生後3ヶ月ほどの仔羊のベビーウールとを漉き込んでいます。羊毛は一般的には春と秋の2回刈り取りますが、春ウールより油分を含み切れにくく、艶やかで美しいのが秋ウールなのです。

 そのデリケートなウールの絨維を傷めないよう職人の手で1本1本手紡ぎし、繊細さと腰の強さを持ったMUNIだけの、しなやかで強靭なナチュラルホワイトウールの毛糸に仕上げていきます。

繊細さと丈夫さを兼ね備え、シルクと見まがうほどの艶


|MUNI CARPETSのBlue & White

明時代 成化年間(15世紀)
台北國立故宮博物院蔵

 芸術文化が花開いた明代の中国では、青花(チンホァ)と呼ばれるBlueとWhiteのみでデザインされた美術品が花開き、その潔く繊細でエレガントな佇まいは貴族達の寵愛を受け、絨毯はもちろん景徳鎮などの陶磁器の世界においても表現方法が確立されました。

 西洋の人々は、意匠の素晴らしさと共に、その文様の中に込められている願いや祈りといった精神世界の豊かさに深い感銘と憧れを持ちます。そしてやがてそれぞれの国で、マイセン、リチャード・ジノリ、ウェッジウッドなどBlue & Whiteの配色の陶磁器が生み出されていくこととなります。
東洋独特の精神性や文化の豊かさが世界の芸術文化に与えた影響の大きさは、はかり知れません。

 MUNI CARPETSが制作する、MUNI BLUEとナチュラルホワイトとの比類ないコンビネーションで織り上げた絨毯は、まるで陶磁器のように繊細な美しさを持っています。

 


 思い描いたイメージをデッサンし、そのイメージを損なわない様にデザインに起こし織り上げる為、図案のひと目ひと目を緻密に設計していきます。
その設計図は、天然素材本来の自然な美しさと力強さ、そして制作する熟練した職人たちの技によって、繊細で堅牢な美術工芸品として完成します。

 

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news letter vol.39 : “We bring you happiness”

2023年2月1日


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 MUNI CARPETSには、さまざまな吉祥文様が織り込まれています。
「デザイン性」に加え、「吉祥文様」としての意味合いを、これまでもお客様にお伝えしてきておりましたが、「文様」の持つ力、ひとに与える不思議な力、背中をそっと押してくれる力強い存在のようなものをこのところとみに感じています。

 
 幸福=happinessをもたらしてくれるのが吉祥文様ですが、その文様の織り込まれたカーペットを暮らしのなかに取り入れることにより、お客様から数々の嬉しいご感想を頂戴します。
・空間のスパイスとしての満足感、
・芸術品を部屋に取り入れた喜び、
・身体を預けたときの快適さ、
・ご家族の集う場所が生まれた、
・疲れて帰宅したときに癒してくれる場所ができた、
・住空間が広がった、
・朝・晩、お玄関を通るたびに文様にパワーをもらっている、
・愛らしい文様を見ると心が和む、

などなど、「モノ」を超えた存在としての「何か」を感じて頂いています。

 

  インテリアとしての価値にとどまらず、インテリアの先にある、皆さま百人百様の
「幸福=happiness」をご提供することを社員ひとりひとりの願いとして、
2023年、MUNIは、年間キャッチフレーズを策定致しました。

We
bring you
happiness.

皆さまにお愉しみ頂けるイベントの企画や、SNSを通じて、
ひとりでも多くの皆さまの”happiness”を願い、
2023年もMUNIは皆さまに寄り添ってまいります。

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news letter vol.38 : 年末ご挨拶に替えて

2022年12月29日

 今年も残すところわずかとなってまいりました。
皆さま新年のご準備にお忙しいころと存じます。
今年も一年、MUNI CARPETSをご愛顧下さりありがとうございました。心より御礼申し上げます。

 皆さまにとって、2022年はどのような一年でしたでしょうか?
MUNI CARPETSでは、【しみ取りワークショップ】、【売りませんDAY】といった、新たな試みに挑戦した年でした。
ホームページやInstagramなどでもご紹介しておりましたが、改めてご紹介させて頂きますと、まず【売りませんDAY】については、オープンキャンパスならぬ、“オープンMUNI” として皆さまにお気軽にお店を愉しんで頂きたいという想いを込めて、売りませんDAYという日を設けています。文字通り、カーペットをお売りしない日です。
これは、以前から多く頂いておりました「ちょっとだけ見たいけれど、買わないのに行きずらい」、「敷居が高くて店に入りずらい」という皆さまからのお声を受けたものです。

バザールで掘り出し物を探すような、ワクワク感を味わっていただけるよう、普段とは陳列も少し変えて皆さまをお迎えしています。


 もうひとつの取り組み【しみ取りワークショップ】は、ご購入前、ご購入時そしてお求めの後も、「コーヒー、ワインなど、何かこぼしてしまったらどうすればよいですか?」という多くのお客様のご心配ごとにお応えしたものです。

ご参加くださった皆さまからは、
「自分でお手入れできるとわかって安心した」
「カーペットを使うのが怖くなくなった」
「より一層カーペットへの愛情が沸いた」

というご感想を頂き、わたしたちスタッフも嬉しく感じています。
ご自身で実際にシミ取りを体験していただくことで、より快適なカーペットライフにつなげて頂いている実感があります。

このワークショップのときはとりわけリラックスして参加してくださる方が多く、お客様と近い距離感でお話ができるというのも、スタッフが楽しみにしている点です。

しみ取りワークショップの様子


  【しみ取りワークショップ】、【売りませんDAY】どちらのイベントも、回数を重ねるごとに皆さまにも少しづつ取り組みが浸透し、「MUNIってこんなことしてるんですね」「こういうイベントがあると安心です!」などなど、お陰様でご好評を頂いております。
また来年も、倉敷本社店・南青山本店ともに開催してまいります。どうぞお気軽にご参加ください。



 「手織り絨毯の店は敷居が高い」と皆さまがお感じになるひとつの理由に、日本人が圧倒的に手織り絨毯に触れる「経験値」が少なく、何か魑魅魍魎とした(笑)よく解らない存在であるということがあるのではないかと思っています。
ジュエリーや時計、洋服やバッグなどと違って、果たしてどれくらいの価格帯のものなのか、またどれくらいの価値があるのか、どのように扱うものなのか、皆目見当がつかない。なじみがなければ解りようがありませんよね。

 今やカーペットは日本のインテリアにとってなくてはならない存在になりました。
その中でも「手織り絨毯」という最も魅力的なアイテムを、欧米の人々のように身近に感じて愉しんでいただけるよう、かつてワインが日本に入ってきたときのように、私共MUNIは、クラシカル・チャイニーズ・ラグのみならず、「手織り絨毯」の素晴らしさを、より親しみやすく、より多くの皆様にお伝えできるような取り組みを、2023年も引き続き続けてまいります。何卒、来年もお引き立てくださいますようお願い申し上げます。

 皆さまと、皆さまの大切な方々のご健勝とご多幸を心よりお祈りいたします。
どうぞ穏やかで暖かな年末年始をお過ごしください。

2022年12月29日
MUNI CARPETS
スタッフ一同

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news letter vol.37 : Tiffany Rugという伝説のラグ

2022年12月1日

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 クラシカル・チャイニーズ・ラグには様々な名品がありますが、そのなかでも「Tiffany Palace Carpet」、通称:Tiffany Rug(ティファニー・ラグ)とも呼ばれる、マニア垂涎のラグがあります。
明時代の、荘厳なまでの蓮花文様のラグです。

”Tiffany Rug”の部分画像
The Textile Gallery:
『Classical Chinese Carpets in Western Collection The Kangxi period, 1661-1722』


|Louis Comfort Tiffany (1848〜1933)

 インペリアル・イエロー(黄金)に輝く”Tiffany Rug”の名称の由来は、かつての所有者ルイス・カムフォート・ティファニー(Louis Comfort Tiffany:以下、”L.C.ティファニー”)の名前から来ています。
水色のboxで有名な宝飾店、TIFFANY and Co.の創業者チャールズ・ルイス・ティファニーの息子です。

晩年のルイス・カムフォート・ティファニー
画像:Marilynn A. Johnson著『Louis Comfort Tiffany artist for the ages』

 

 現在のTIFFANY and Co.は、1837年に創業者のチャールズ・ルイス・ティファニーが友人のジョン・B・ヤングとともにニューヨークのブロードウェイに店を開いたのが始まりで、主に中国のアンティークや高級雑貨を扱っていました。
L.C.ティファニーはそのような環境の中、アジア、とりわけ中国や日本の文化芸術に強く惹かれていきます。そして、家業の宝飾業の分野よりむしろ芸術家、室内装飾家として名を馳せ、アメリカにおけるアールヌーボーの第一人者となります。

|“Light Comes from the East”

 L.C.ティファニーは、自身を「色彩を重んじる芸術家」としており、生涯のうちの多くの時間、世界各地を旅して各地の宝石や家具、木工品や絵画を蒐集することで新たなデザインのヒントを求めました。

  L.C.ティファニーのニューヨーク・ロングアイランドの自邸:Laurelton Hallには、”Native American room”などのほかに、”Chinese Room”、“Japanese Room”という部屋があり、東洋の芸術品で溢れていました。
彼が手掛けたアールヌーボーの作品群にはしばしば東洋美術の色彩にインスパイアされたものが多く見られますが、彼の個人コレクションや中国美術・日本美術への情熱の深さについては、あまり知られてはいません。
19世紀後半、多くのアメリカの芸術家にとって東洋(the East)の芸術が一過性の流行だったのに対し、L.C.ティファニーにとっては生涯情熱を傾けるものであり続けました。

Tiffany Lamp。
日本の秋の風物詩であり「勝ち虫」の別名を持つトンボがモチーフ。
画像:Marilynn A. Johnson著『Louis Comfort Tiffany artist for the ages』

|クラシカル・チャイニーズ・ラグとの邂逅

 時は1910年代。
2022年8月1日配信のメールマガジンでもご紹介しましたが、中国では清王朝が崩壊し、王宮である紫禁城の調度品の品々の一部が、欧米や日本の古美術商(House of Yamanaka=山中商会)の仲介により欧米のマーケットに紹介するやいなや上流階級のひとびとの羨望の的となります。

 羨望の眼差しを向けたセレブリティのひとりが、今回の主人公L.C.ティファニー。
1895年からブロードウェイに店を開いていたHouse of Yamanakaから、紫禁城および満州の王宮を飾っていた調度品を入手します。
それが、L.C.ティファニーとクラシカル・チャイニーズ・ラグとの出逢いでした。
「色彩」に人並外れた感覚を持っていた彼が、神々しいインペリアル・イエローに心をわしづかみにされたのは想像に難くありません。

1911年山中商会のオークション目録
MUNI蔵書
 

| Tiffany Collection

 L.C.ティファニーは、1918年、次世代の芸術家たちに活躍の場と自由を与えることを目的とし、Louis Comfort Tiffany財団を設立します。そして、広大な土地と、生涯を通じて蒐集した膨大なコレクションを含むLaurelton Hallの自宅財産を財団に寄付しました。

 財団設立のもうひとつの目的は、コレクションを保存することでしたが、1933年のL.C.ティファニー没後、Laurelton Hallの維持管理が困難となり、1945年以降、財団は全ての財産をオークションで売却して現金化する苦渋の決断を余儀なくされます。
こうしてオークションによって現金化された財産は、芸術を学ぶ学生たちの教育援助資金として使われ、結果的に、L.C.ティファニーが望んだ目的の使途となりました。

 1946年にニューヨークで行われたオークションでは、彼自身の作品を含むコレクションが公開されました。
広範囲に及ぶラグも注目を浴び、オリエンタルラグ、毛皮のラグのほかに、彼自身の設立した「Tiffany Studios」がデザイン・制作したラグも含まれていたそうです。
オークションの様子を写した下記写真の左下部に、伝説の“Tiffany Rug”が見て取れます。

1946年に行われたTiffany Collectionオークションの様子
画像:Yale University Press: 『LOUIS COMFORT TIFFANY AND LAURELTON HALL』


 

|現代に蘇った“Tiffany Rug”

 現在、MUNI CARPETSでは、メトロポリタン美術館に所蔵されている同類の作品を参考に再現した”Tiffany Rug”がご覧頂けます。Covid-19の数年を経て、蘭州にある工房から織りあがってきたその作品は、とりわけ黄色の発色が素晴らしく、かつて「インペリアル・イエロー」と呼ばれた鮮やかで高貴なクラシカル・チャイニーズ・ラグに限りなく近い、神々しいばかりの仕上がりです。

  L.C.ティファニーも惹かれたであろう鮮やかな黄色、インペリアル・イエロー。
実は長年研究を重ねつつも、出したくても出せなかった色でした。
工房・漢氈居では、Covid-19の期間もこの色を再現するための努力を脈々と続けてくれており、この度、MUNIの特別なラインであるインペリアルラインとして、満を持して皆さまにお披露目が叶うこととなりました。

南青山本店、倉敷本社店にてご覧いただけますので、ご興味おありの方は事前にご連絡頂けましたら、ご準備させて頂きます。(2022年12月1日現在)


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news letter vol.36 : 特筆すべきインテリアデザイナーたちとチャイニーズ・ラグ

2022年11月2日

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 MUNI南青山店からほど近い表参道には、LOUIS VUITTON、ARMANI、CHANEL、GUCCI、HERMES、Ralph Laurenなど世界のラグジュアリーブランドが軒を連ねています。ウィンドウには暖かなアウターがディスプレイされ、その華やかな雰囲気に、仕事帰りに通りをそぞろ歩くだけでも気分が高揚してきます。

|美学の延長線上である住まい

 ブランドショップを訪れたときに感じる高揚感を作り上げているものは、商品である服やバッグ、靴だけではありません。店舗の設え、家具の配置の仕方、小物使いや飾られている花など、その空間自体に魅力が詰まっています。

  例えば、ラグジュアリーブランドのひとつ、ARMANIは、2000年にARMANI|CASAというプロジェクトを発表しました。これは、デザイナーのジョルジオ アルマーニ自身が、住まいを美しく装飾することへの憧れから、自らのビジョンや美学をインテリアデザインの領域にまで拡げ、トータルライフスタイルを提案するプロジェクトを構築したもので、ファッションの領域を超えて自身が理想とする美学の延長線上に位置づけたものだそうです。

  そんな「理想の美学の延長線上たる住まい」を表現する天才ともいえる、世界のカリスマ的インテリアデザイナーたちをご紹介していきます。


|特筆すべきインテリアデザイナーたちとチャイニーズ・ラグ

1:PETER MARINO ピーター マリノ

 上記に挙げたイタリアン・モードの巨匠ジョルジオ アルマーニは、世界各地に自邸を持っていましたが、彼の創作の基地とも言えるミラノの自邸のインテリアデザインを手がけたのは、ピーター マリノ(Peter Marino)。
ピーターマリノは世界のハイブランドのフラッグシップショップ(旗艦店)を手がける、今をときめくインテリアデザイナーの一人です。日本では銀座のCHANELや、BVLGARIなどの店舗を手がけたことで有名です。

  1980年代、そのピーター マリノがジョルジオ アルマーニの依頼を受け表現したのは最も優雅で洗練された時代・1930年代の香り漂うシンプル・ラグジュアリーでした。選んだのは、1930年代のフランスのインテリアデザイナー、ジャン・ミッシェル・フランク(Jean Michael Frank)の家具と、そして、チャイニーズ・ラグ。シンプルな西洋のモダンな家具と空間をベースに、東洋の優雅な伝統美が融合されたラグジュアリーな空間を実現しました。

画像:AD Magazineフランス版より
Visite du palais milanais de Giorgio Armani | AD Magazine

 

2:FRANCES ELKINS (1888-1953) フランセス エルキンス

 20世紀初頭には、それまでの様式化されていたインテリアから、さまざまな国や時代をミックスした「エクレクティック(折衷)スタイル」を提唱した立役者がいました。
アメリカ人インテリアデザイナー、フランセス エルキンス(Frances Elkins)です。

 エルキンスは1908年から1911年の間、ヨーロッパを精力的に回るなかで建築などについての強い影響を受けました。
その滞在中、フランスの著名なインテリアデザイナーであり家具デザイナーである ジャン・ミッシェル・フランク (Jean Michael Frank) やスイスの彫刻家アルベルト・ジャコメッティ(Alberto Giacometti)と出逢い、エルキンスは、その後彼らに調度品を制作してもらうこととなります。
そしてエルキンスとの仕事が、ジャン・ミッシェル・フランク、アルベルト・ジャコメッティの二人のアメリカでのキャリアを押し上げました。

 1930年代に入りエルキンスのキャリアは大きく開花しました。彼女は、特別にデザインしたpalazzo(館)にて、数々のスタイリッシュで文化的なヨーロッパの友人たちをもてなしました。そのなかには、サルバドール・ダリやココ・シャネルもいました。

 エルキンスもまた、モダンでラグジュアリーな設えに欠かせないアイテムとして、東洋の伝統美を表現するためにチャイニーズ・ラグを取り入れていました。
 エルキンスが提唱した洗練されたスタイルは、現代のインテリアデザイナーたちに多大な影響を与え、現在では普遍的なスタイルとして世界中で取り入れられています。

出典『CALIFORNIA DESIGN LIBRARY Living Rooms』
Diane Dorrans Saeks著、沖野十亜子訳 


3:MICHAEL S SMITH  マイケル スミス

 アメリカのインテリアデザイナーTop 10に選ばれ、オバマ大統領時代のホワイトハウスの住まいも手掛けたのが、L.A.の超カリスマ的存在マイケル スミス(Michael S Smith)。上述のフランセス エルキンスの組み合わせた膨大なデザインやスタイルから、今でもインスピレーションを得ているといいます。

「そこに住む人を思わせる部屋」をモットーにデザインされたラグジュアリーな空間は、L.A.に限らずN.Yのセレブリティにも絶大なる人気があります。そんなマイケル・スミスが彼自身の館に選んだのは、これまたチャイニーズ・ラグ。

ここでも、西洋のヴィンテージ・モダンをベースに、東洋の伝統美を取り入れることで、モダンで、よりラグジュアリーな空間を実現しています。 チャイニーズ・ラグを取り入れたこのスタイルは1930年代のエルキンス時代から続くラグジュアリーのお手本となっているのです。

出典『California Interiors』
Diane Dorrans Saeks著


4:THOMAS O’BRIEN トーマス  オブライエン

 最後にご紹介するのは、ニューヨークを拠点に活躍し、かつてラルフローレンのフラッグシップショップなどのインテリアデザインを手がけた実績があり、自身のインテリアブランドも展開するトーマス オブライエン(Thomas O’Brien)。

 彼のデザインはニューヨーカーらしい、重厚さと、モダンクラシカルな、様式にとらわれない「エクレクティック」で表現されています。

彼がインテリアデザインを進めていく際、まずカーペットを決めることから始めるといいます。それだけカーペットはインテリアの印象を方向づけるからなのです。
下の写真では、たっぷりとした余白に中国の伝統的な龍の意匠のカーペットが、コロニアルスタイルの椅子や18世紀のロココ調の椅子などを、モダンかつシックにまとめあげる役割をしています。
モードの世界にも精通したオブライエンならではの軽快なカッコ良さが魅力です。

   余談になりますが、表参道のラルフローレンでも各コーナーごとにヴィンテージカーペットが惜しげなく敷かれており、またブルーアンドホワイトのジンジャーポットなどの小物が、ラルフがイメージするアメリカンラグジュアリーを表現しています。

出典『THOMAS O’BRIEN  LIBRARY HOUSE』
Thomas O’Brien & Lisa Light共著  


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news letter vol.35 : オリエンタルカーペット鑑賞のツボ

2022年10月1日

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 “オリエンタルカーペットを鑑賞する”という文化は、元々は欧米に始まります。

100年以上前に作られたアンティークカーペットに見られる、機械や化学染料を使わず丁寧に作られた「染織の美」は、絵画やその他の美術品と並ぶ見どころがあるのです。
デザインはもとより、手紡ぎの糸ならではの味わいや日光による退色や、色の深まりなどです。

 このように美術工芸品の美を愛でる習慣は日本でもあり、古来より、手描きの染付や手びねりの茶碗の、ひとつひとつの味わいを鑑賞しました。
偶然によって生まれた釉薬の変化やヒビなどを、茶人たちは「景色」として愛で、相応しい【銘】をつけました。そしてそれが、鑑賞におけるひとつのポイントともなります。なんとも風流で粋な文化です。


|手仕事によるものづくりを続ける理由

 私どもMUNI CARPETSが、明末期から清初期の宮廷絨毯=クラシカル・チャイニーズラグの伝統を引き継ぐことは、往時の製法により生みだされる「偶然性の美」、「人智を超えた美」を追求することに他なりません。

 MUNIの絨毯は、プレミアムウールを手で紡ぎ、天然の染料で染め、手結びにより織り上げていることはかねてよりお伝えしているとおりですが、それらを採用している理由について、これまでなかなかお伝えする機会がありませんでした。

 それらを採用しているのは、単に往時の製法であるからということ以上に、ひとつひとつ表情の異なる、美しい個性ある作品を生むために必要なプロセスであるからです。  

 手紡ぎした糸には太細が生まれるため、織りあがった絨毯に美しい「景色」を与えます。均一的な量産のプロダクトに囲まれているいま、いびつ、とか、均一でない、と感じられるものがあるかも知れません。
しかしながら、私どもMUNIが目指すところは、画一的で工業的なものづくりではなく、ひとつひとつ違って当然の、そしてそれが魅力である、手仕事によるものづくりであり、それにより生まれる「美」なのです。

 偶然性により生まれる「景色」。それこそが、今回お伝えしたい、鑑賞のツボです。

|其の一: アブラッシュという景色

 「景色」といっても、ではどういった「景色」が見どころなのかを、具体的にお伝えしていきましょう。

 

 画像は、ホワイトのフィールドに藍の草龍のデザイン(Design No.041(801))。
潔い白と藍のコントラストが人気のデザインですが、ただ白いだけではありません。

この作品のフィールドに、横にうっすらと筋状に入る「景色」がご覧になれますか?この「景色」は手紡ぎした糸の太細が生む現象で、【アブラッシュ】と呼ばれます。
一部に入ることもあれば、全体に入ることもあります。

 染色用語なので普段あまり耳にすることがない言葉かも知れませんが、アブラッシュは手織り絨毯の証。
欧米では、アブラッシュが入っていることが上質な絨毯の評価ともなります。

 MUNIの絨毯は天然の染料で染めあげるため、温度・湿度などにより染め上がりの色はその時々の一期一会。
一期一会の色が糸の太い箇所、細い箇所に入り込み、独特の美しいアブラッシュとなります。
機械織りでは決して生まれないものであり、自然の賜物なので、アブラッシュがどのように出るかは、織りあがってみないと判りません。
まさに「神のみぞ知る」、偶然性により生まれる景色です。

 とりわけ、Design No.041(801)のフィールドは、染料で染めていない羊の原毛を使っています。
羊には、真っ白だけでなく、グレイやブラウン、黒い毛など様々な種類が居ますね?
白い羊であっても、グレイやブラウンの毛が混じっており、織りあがったときに得も言われぬアブラッシュが浮かび上がります。

このホワイトのフィールドの景色に、【刷毛目】【三島手】【雲海】あるいは【石庭】などの銘がついていたら、、、どうでしょう?
龍がより生き生きと見えませんか?



 もう一枚、貴重なアブラッシュが出ている作品をご紹介してみましょう。
Design No.009Fです。
この一枚には、淡いピンク色のフィールドに太陽の光を受けてきらきらと揺らぐ【水面(みなも)】のような、なんともレアなアブラッシュが生まれています。
使い込んでいくほどに艶が増し、よりきらきらとした表情になっていく一枚です。

フィールドの部分を拡大して見てみます。

【水面】がご覧いただけるでしょうか。
優しい印象のこの作品には、【水面の蓮】という銘をつけました。
この銘から、皆さんならどんな季節のどんな情景を思い浮かべますか?



其の二: 天然染料の経年変化の美しさ

 次にご紹介する鑑賞のツボは、「天然染料の経年変化」です。

目にも鮮やかなこちらの作品。
ギャラリーで新品の状態を目にしたら、「んーこれは好みじゃないかな」と候補から外される方が多いかも知れません。

ところがこの色の取り合わせは、10年後、驚く変化を見せます。
かなり鮮やかな印象を与えている珊瑚のようなオレンジは、柿色のように。
元気良い黄色は、落ち着きのある象牙のように。
すべての色が溶け合い、まるで天真爛漫な少女が、しっとりした大人の女性に成長するかのようです。

どの作品もそうですが、新品の状態は【未完成】なんです、と店頭でよくお伝えしています。使っていくことで育てて頂くのです、と。
艶や柔らかさもそうですが、色合いについては、10年後、20年後の美しい変化を狙って制作しているのです。
ですから、新品の状態でご覧になっている色は、最終形ではありません。

「この色はどのように変化していくのかな。」と、未来の美しい姿を想像しながらご覧になってみてください。

|100年後のアンティークを見据えて

 100年未満のものはヴィンテージ。
100年を越えないとアンティークと呼べないと言います。

1987年にスタートしたMUNIは、現在創業35年。
創業当初の作品もいまはまだ「ヴィンテージ」かも知れません。

しかし、MUNIのものづくりは、「アンティーク」を見据えています。
確固としたものづくりが証明されるのは、100年後。

ただ古いだけのアンティークではなく、美しく、かっこいいアンティークを目指して。
今から楽しみでなりません。

400年前のアンティークカーペット (MUNI所蔵)



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news letter vol.34 : 絨毯用語の基礎知識

2022年9月1日

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  日頃、店頭では皆さまにご案内する際、専門的になり過ぎない平易なことばでご説明するように努めておりますが、中国を含めオリエンタルカーペットには、一枚のカーペットのデザインを構成する要素の名称があります。
手織り絨毯(オリエンタルカーペット)をよりお愉しみいただけますよう、改めて図解してみようと思います。

一枚を構成する要素を表す用語

【A】 奎龍 (クェロン)メダリオン

中国やオリエントのラグの構図に最も頻繁に見られる、中心に位置する大きな円形のモチーフで、中心に位置する大きな円形のモチーフで、作品の物語の主題を示すポイントを成します。
チャイニーズラグの場合、サイズバランスによって、奎龍 (クェロン)|メダリオンが3メダル、5メダルと、数がプラスされます。

【B】雲角 (ユィンシャオ) |コーナー

17世紀頃から「コーナー」が用いられるようになり、奎龍(クェロン)|メダリオンの意匠を繰り返すデザインが多くみられます。奎龍(クェロン)|メダリオンの意匠を繰り返すデザインが多くみられます。

【C】 外辺 (ワイビェン) | アウターボーダー

一番外側の縁の部分。色や太さによって全体の調子を整える大切な部分です。

【D】 大辺 (ダービェン) |メインボーダー

額縁として、作品をより美しく引き立てる要素となります。こちらのデザインによって、力強さ、エレガントさ、などの方向性が決まります。

【E】 小辺 (シャオビェン) | セカンドボーダー

大辺(ダービェン)|メインボーダーを引き立たせ、かつディティールをより繊細に表現します。作品自体のサイズが大きくなると、 (第三)サードボーダー、(第四)フォースボーダーと追加されていきます。

【F】堂子 (タンヅ)  |フィールド

中心の奎龍(クェロン)|メダリオンの主題を受けて、背景となる部分。唐草、万字文といった幾何学文様など。奎龍(クェロン)が無い場合には、堂子(タンヅ) |フィールド自体が主題になることもあります。中国段通の場合は、無地で表す場合も多々あり、余白のバランスを重んじる美意識が古来から受け継がれています。

【G】穂子 (スエヅ) | フリンジ

両側の房。手織り絨毯の場合、織機にかけた経糸を残した部分。
機械織りの場合は、後からフリンジだけをつける場合もありますが、この穂子(スエヅ)|フリンジがあることが、手織り絨毯の証でもあります。

 

その他の用語

【絨毯(じゅうたん)】

 「手織り」と「機械織り」の区別はなく曖昧ですが、手織りの場合は「手織り絨毯」という表記となります。

【段通(だんつう)】

中国から伝わった「毯子(タンヅ)」が語源であり、中国段通以外でも手織り絨毯を示す言葉として用いられています。
機械織りの絨毯を「段通」と呼ぶことはなく、MUNI CARPETSも、日本でいうところの緞通のカテゴリーに属します。

【カーペット?ラグ?】

欧米においてはサイズによって、大きいものを「カーペット」、小さいものを「ラグ」と呼び分けていますが、その境はあやふやです。
また、手織りと機械織りとの区別は特になく、手織りの場合は「Hand Knotted Carpets & Rugs」、「Oriental Carpets & Rugs」などと表記されます。

【段数 |ノット(Knot)数】

織り(結び)の数または密度を表す言葉で、中国段通の場合日本では「段(だん)」、中国では「道(タオ)」と表します。例えば90段であれば1尺(約30.5cm)の幅に90個結び込まれていることを表します。

また、西洋では1平方インチまたは1平方フィートの面積に対し何ノット:100ノット(Knots)/sqinch、22500ノット(Knots)/sqfeet と面積あたりの密度を表します。

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news letter vol.33 : 時空を越えた宮廷絨毯

2022年8月1日

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2021年秋、クリスティーズに登場した五爪の龍の絨毯

時空を越えて

 2021年秋、世界的に有名なオークションハウス・クリスティーズ(CHRISTIE’S)にて、話題騒然となったオークションがフランス・パリで開催されました。日本でも報道されましたのでご記憶の方もいらっしゃるでしょう。  競売に出されたのは、縦4メートル、横5メートル、明代に紫禁城の皇帝の玉座の床を飾った五爪の龍の絨毯。中国の皇帝が「天の子」であることを象徴するモチーフです。  その絨毯は、1920年にアメリカ人夫妻が中国に新婚旅行に行った際に購入し、その後1987年にスイスの個人コレクターが購入して以来、34年ぶりに公の場にその姿を現したもの。落札価格は、事前予想を大幅に上回る774万ドル(約8億8千400万円)にまで吊り上がり、大きな話題となりました。過去に競り落とされたオリエンタルカーペットの最高額は170万ドル(約2億円)でしたから、今回の落札額がいかに破格かお判りいただけると思います。

紫禁城を飾っていた宮廷絨毯

参考画像: 玉座の足元に龍の絨毯が見える肖像画。


 世界遺産である北京の故宮は、かつて「紫禁城(The Forbidden City)」と呼ばれ、明朝(1368~1644)から清朝の滅亡のときまで、24人の歴代皇帝が暮らした居住空間であり、政治の中心でもあり、その栄華は「宇宙の中心」とまで讃えられていました。しかしながら一般のひとびとが立ち入ることはできなかったため、72万平方メートル(東京ドーム約15個分)の敷地に建つ世界最大級の皇宮は、長きにわたって外界の目から閉ざされていました。  

 1900年に起きた義和団事件の混乱直後の1901年、清朝が滅びる直前の紫禁城の建築調査に入ったのは、日本の東京帝国大学でした。その調査団に同行した写真家・小川 一真(おがわかずまさ)氏により、聖域とされていた紫禁城の内部の様子が初めて明らかになりました。(小川 一真氏は、日清・日露戦争、明治天皇の大喪の礼など、日本の歴史を伝える多くの被写体をとらえてきた写真家であり、有名なところでは、以前、千円札に描かれていた夏目漱石の写真があります。) 

 その記録写真により、紫禁城の内部は、真冬の北京の厳しい寒さをしのぐため、厚手のウール(羊毛)絨毯で覆われていたことが判りました。紫禁城には、その内装をつくるための専用の工房があり、絨毯は柱などの造作に合わせてくり抜き、各部屋に敷き詰められていたのです。 

1901年 小川一真氏による紫禁城内部の写真。
寒さから身を守るための絨毯が敷き詰められている。

 紫禁城を象徴し、王朝が交代しても大切にされるほどの印象的なアイテムであったこれらの宮廷絨毯は、義和団事件、のちの日中戦争、文化大革命などで、大半が失われることとなりますが、1910年代にその一部は、欧米や日本の古美術商の仲介により欧米のマーケットに紹介されるやいなや、アメリカの銀行家JP Morganや、Tiffany & Co.社の経営者チャールズ・L・ティファニーの息子である芸術家ルイス・カムフォート・ティファニーなどの社交会の人々によって買い取られます。

  これが世界にその存在と芸術性を知らしめるきっかけともなり、宮廷絨毯の美しさは世界のセレブリティーの垂涎の的となって行きました。現在では、世界的に現存する16〜18世紀に制作された宮廷絨毯(クラシカルチャイニーズ・ラグ)は非常に僅かであり、それらはメトロポリタン美術館やワシントンのテキスタイル美術館、ヴィクトリア&アルバート美術館などの欧米の美術館に収蔵されています。

世界の宝を後世に  

 それから約100年近く経った2000年には、46枚の宮廷絨毯が紫禁城の元配膳室であった部屋から発見されるという世紀の大発見がありました。そして、そのうち数枚が16〜18世紀に制作された宮廷絨毯(クラシカルチャイニーズ・ラグ)だったのです。
これは、イギリス人オリエンタルラグ蒐集家であり、オリエンタルラグの専門誌「HALI」のパブリッシャーでもあるMichel Fransesの強い働きかけにより発見に至ったもので、2005年にドイツのケルンで開催されたクラシカルチャイニーズ・ラグの展覧会において、世界に向けて発表されました。

そのシンポジウムに参加していたMUNIオーナーの楠戸は、大半が虫喰いや色褪せがひどく、良い状態で保存されているものはほとんどないことを知ります。楠戸はそのことをパートナーの張力新(Bill Zhang)氏に話し、MUNIが研究してきた伝統技術をこの世界の宝の修復に活かせないかと思いついたのでした。

            撮影 張力新氏


 そしてその後、楠戸は「故宮博物院 絨毯修復準備室」を立ち上げ、張力新(Bill Zhang)氏、工房の技術者と楠戸は実際に故宮博物院に絨毯の調査に入り、絨毯のコンディションや、修復の工程など学芸員との打ち合わせを進めて行きました。

2006年、北京故宮博物院にて。工房の技術者と学芸員の苑女史(中央)と。

北京故宮博物院 研究室にて。
右から2番目:工房パートナーBill Zhang、右端:オーナー楠戸 謙二。
左端:学芸員 苑女史。

 

 ところがそのような中で、残念なことに中国側の方針が変わることによって、そのプロジェクトは頓挫してしまうのでした。   

 しかし、現在でも二人はその想いを諦めておらず、将来必ずその夢を叶えるべく30余年経った今でも、技術の研鑽を続けています。そして、その積み重ねた技術こそが、今のMUNI CARPETSに余す所なく注ぎ込まれているのです。 

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news letter vol.32 : 汝窯青磁のBLUE

2022年7月1日

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青磁水仙盆(汝窯 北宋時代)

 先日、シルクロード 蘭州にあるMUNIの工房から、染め上がった糸の写真とともに青磁の写真が送られてきました。“汝窯(じょよう)青磁” の写真です。  この汝窯青磁の色は「天青色(てんせいしょく)」と呼ばれ、中国の皇帝が理想の青磁の色を表現した、「雨過天青雲破処」(雨上がりの空の青さ。それも、雲が破れるようにして晴れ始めた、そのあたりの青さ)ということばから来ています。雨上がりのしっとりと水気を含んだ空の色、と称されます。その鉱物のような、玉(ぎょく)のように穏やかで柔和な汝窯青磁のブルーは、今なお青磁の世界で理想の色とされています。

汝窯とは?

 汝窯(じょよう)とは、正式には汝官窯と呼ばれ、芸術の盛期、北宋時代(960~1127年)の首都であった汴京(べんけい。現在の開封)に近い汝州(じょしゅう。河南省中西部)にて宮廷の命によって作られた青磁のための窯の名前です。

 北宋時代は陶磁器生産が開花し成熟期を迎え、その釉には瑪瑙(めのう)の粉を入れたといいます。
耀州窯(ようしゅうよう)や龍泉窯(りゅうせんよう)などほかの青磁に比べて、しっとりと淡い色が汝窯青磁の特徴です。
無駄なく洗練された形、淡い空に吸い込まれるような色、気品ある穏やかで優美な佇まいは、中国芸術の頂点とも言われる北宋時代を象徴する陶磁器、ひいては陶磁器界のトップとして評価されています。

 かの乾隆帝も北宋の汝窯青磁に魅せられたひとりで、乾隆帝が苦心して集めた21点が台北 國立故宮博物院に収蔵されていますが、それらを含めて世界に90点余りしか現存しないと言われるたいへん稀少なものです。
日本の伝統文化においても、茶道、華道、香道などのなかで格式高い焼き物とされ、多くのひとびとの心を惹きつけてきました。

 青磁は、原材料となる胎土や釉薬に含まれる鉄分が焼成時の還元状態によって青色を呈するものですが、同じ窯のものであっても焼き上がりの表情が異り、焼き上がりの色調を一定に保つことはいつの時代も、どの窯においても難しかったようです。
釉中の無数の気泡が光を乱反射して緑、黄色、白と様々な色を帯びる複雑な色は、「青」の一語では表せません。

汝窯BLUE

 MUNIのブルーというと深い藍色、鉄紺(てつこん)を思い浮かべる方が多いと思いますが、実はMUNIの真骨頂であるブルーは、汝窯青磁の色を狙った、淡くやや緑がかった色 、”汝窯ブルー”なのです。 MUNIが目指す”汝窯ブルー”は、蓬灰、麩、酒、などを用い藍を自然発酵させて染色する古来の染色法、“灰汁建て(あくだて)法” によってのみ得られる、緑、黄、白と様々な色を内包したブルーなのです。糸を染める職人たちは、世界の陶磁器の頂点である汝窯青磁のブルーをイメージしながら、この色を染め出しています。

汝窯ブルーに染め上がった糸

 微妙な温度や湿度の違いにより染め色が変わってくる苦労は、青磁の陶工の苦労と同じなのかも知れません。それだけに、洗いを繰り返し乾燥させたのち、狙った色が現れたときの感動はひとしおです。 染め糸と一緒に汝窯青磁の画像を送ってきた心情に想いを馳せるとともに、常に理想を目指す職人たちに敬意を表わさずにはいられません。

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