MUNI CARPETS

news letter vol.54 : MUNI CARPETS誕生に至る、始まりの一枚

2024年6月1日

MUNIでは、月に1度メールマガジンをお届けしています。
その内容をこちらでも紹介させていただきます。
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(出典:『AD Japan No.7, MAY 1984』)


 創業者・楠戸謙二がどうして中国のカーペットを復刻させることになったのか?というのは皆さまから頻繁に頂くご質問です。 
1987年、楠戸が香港で一枚のアンティーク・チャイニーズ・ラグと出逢ったことに端を発しているのですが、それよりも以前、楠戸が「最初に目にした」チャイニーズ・ラグがあります。 

 学生時代から楠戸はインテリアに興味を持ち、日本をはじめ、海外のインテリア誌を読む中で、『ARCHITECTURAL DIGEST JAPAN(アーキテクチュラル・ダイジェスト・ジャパン)』という雑誌に目が留まりました。1920年にアメリカで創刊された最も権威あるインテリア誌『ARCHITECTURAL DIGEST』の日本版として、1983年から1985年のわずか2年間のみ福武書店(現・ベネッセコーポレーション)から出版されていた、今となっては幻の雑誌です。 

その中に、”ピカソの壁画を眺めながら朝食を”として紹介されていた、画商の部屋。その空間を切り取ったビジュアル(下記)は鮮烈な印象をもって楠戸の眼に焼き付きました。

(出典:『AD Japan No.7, MAY 1984』)

 部屋の主(あるじ)は、画商ジャン・エリック・レーベンアドラー氏。
長年にわたって蒐集した現代美術や家具、オブジェ等の珠玉のコレクションを携えてスウェーデンからロサンゼルスに移り住み、それらコレクションを引き立てるための部屋を作った、という内容の記事。

濃藍の壁に浮かび上がるように設えられたピカソの絵が主役のダイニングルームは、ロイヤルブルーの座面のダイニングチェアに座り、ピカソの壁画を眺めながら朝食を愉しむ、というコンセプト。  

壁画のおおらかな曲線、チェアのフォルムと色、トラバーチン材の床とテーブルの色目、足下のチャイニーズ・ラグのすべてが呼応して溶け込み、どれひとつが欠けても完成しないアイテムのひとつとしての重要な役割を果たしているカーペット。

これほどまでに高い感性をもった人物が、自身の珠玉のコレクションと合わせるために選び取ったカーペットとは、いったい何ものなのだろう、という興味。

そして、カーペットという“もの”としてだけではなく、その家の主人の人生の歴史とともにインテリアの中に映る姿がなんとも格好良く、虜になったのでした。

 それから数年ののち、初めて訪れた香港で、憧れのアンティーク・チャイニーズ・ラグと出逢い、その美しい文様と、時を経て深まり成熟した藍の色に強く引き込まれていくことになります。
今から37年前のMUNI CARPETS誕生に至る、始まりのストーリーです。

高い感性のひとびとに選ばれてきたクラシカル・チャイニーズ・ラグを継承するMUNI CARPETSが、皆さまの人生に寄り添い、皆さまおひとりおひとりのインテリアストーリーを一緒に紡ぐことができましたら大変光栄です。



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