news letter vol.66: 真に美なるものは、時空を超えて常に新しい
2025年6月1日
MUNIでは、月に1度メールマガジンをお届けしています。
その内容をこちらでも紹介させていただきます。
過去のアーカイブはこちらから
明治から昭和にかけて活躍した日本の芸術家で、書・篆刻・陶芸・料理・絵画に至るまで多岐にわたって才能を発揮した北大路 魯山人。
『魯山人陶説』という書籍のなかに、
“真に美なるものは、必ず新しい要素を多分に有するのである。
・・真に美なるものは、時空を超えて常に新しいのである。”
ということばがあります。
このことばを引用しつつ、1998年にMUNIオーナーの楠戸が『染織α』という月刊誌に寄稿をしました。
いまから27年も前になりますが、いま読み返してみても新鮮で、皆さまにご紹介したい箇所が多くありました。
少し長いながら・・・ご紹介させてください。
『月刊 染織α』甘肅氈 ~中国の西域に甦らせた草木染め緞通~
から一部抜粋
※現在は、甘肅氈ではなく、MUNI CARPETSという商標となっておりますが、文中では当時の表記をそのまま掲載しています。

海の底のような藍染緞通
今から十数年前訪れた香港の地で、ふと立ち寄ったギャラリーの壁面にディスプレイされた鮮やかな藍色のカーペットが私の目に飛び込んできた。
ギャラリーの主人の説明では、これは中国の清朝時代に甘肅省(かんしゅくしょう)で織られた緞通であると言う。
それまで私は中国緞通というと天津緞通に代表されるピンクやグリーンの写実的な花文様が浮き彫りになった分厚い敷物というイメージが強く、私の個人的な好みではなかった。
この藍色の緞通は百年以上も使い込まれ、藍の色は成熟し、まるで海の底の様な深い色に変化し、またその表面は、羊毛でありながら、シルクより艶やかでやわらかく、まるで上質のビロードの様だった。 そして文様は梅文様や宝結び文等の吉祥文がバランス良く配置され、日本人の私にとって何か懐かしさすら感じられた。私はこの時、中国緞通というものを初めて知った気がした。
それは、あの北大路魯山人が言った「真に美なるもの必ず新しい要素を多分に有す。真に美なるもの時空を越えて新しい」という言葉通りに、私にはとても新鮮でモダンに感じられた。明時代の器や錦にも通じる美しさをもつこの緞通は、やはり現代の見せかけのものではなく、民族の心のこもった、祖先から受け継いできた技があってこそ生まれてくるものだとつくづく感心した。

その後私はその藍色の緞通を手元に置き、毎日の様に眺め、その感触を確かめているうちに、いつのまにか、その緞通の織られた産地のこと、歴史や背景に私なりに思いを巡らせていた。
中国緞通に関する記録や資料は実際とても少なく、イランやトルコのカーペットに比べ研究者も非常に少ない。また、欧米の有名な美術館や博物館のコレクションでさえも、年代や産地等が未だはっきり分かっていない点もある。
現存する古い中国緞通は、ドイツ・フランクフルト手工芸博物館所蔵の明末期(17世紀)に織られた蓮花文の緞通、ニューヨーク・メトロポリタン美術館所蔵の有名な如意文を織り込んだ明末期・清初期の品がある。 また日本ではあまり知られていないが、京都・祇園祭の山鉾に飾られていた16世紀の作品といわれている玉取獅子の文様の緞通等が挙げられる。
それらの時代の品々には、かつて中国からはるばる海を越え渡って来た名物裂等と同様に特に気品と洗練された美しさがある。
それ以後の緞通は、時代や産地によって、様式は変化してゆき、清朝末期になるとその気品ある美しさのバランスは消え、20世紀に入り、多くの欧米人が中国で輸出用の緞通の生産を始めると、フランスのオービュッソンタピスリー柄へと変化し、天津緞通のスタイルが出来上がる。そしてそのスタイルが中国全土に広がり、商業主義のコンテンポラリデザイン、紡績機の導入、輸入羊毛や化学染料の使用による大量生産によって、本来の美しさを受け継ぐ品とは異なるものとして世界中に広まっていった。
私は色々と中国緞通について調べていくうちに、中国緞通の一ファンとして美しい緞通が失われてゆくことがいたたまれず、またどうしてもこの目で産地を見て確かめたいという気持が募り、私がとても感銘を受けた中国緞通の本の著者、賈冠顔氏に手紙を書き、中国の最も古い緞通の産地・甘肅省の緞通関連の会社を紹介してもらった。
(中略)
甘肅氈は次代に残す世界の宝
そんないきさつで、私がやらずして誰がやる。自分の大好きな納得の行く緞通を作ろう。世界には本物の中国緞通を待っているカーペットフリークが必ずいるはずだ、私以外に。今まで何世紀も続いて来た文化をこのたった百年で消滅させてしまうのはあまりに大きなものを失ってしまうことになる。淘汰されるものも必ずあるが、イランやトルコのカーペットと同様に世界の宝として後世へ残さねば。そんな想いで私はついに十年前に甘肅省のある工房と協同生産を始めた。

全てのプロセスを原点に学ぶという主旨から私が最も敬意を払う明代から清代初期のアンティークカーペットを蒐集し、またメトロポリタン美術館や、ワシントンDCのテキスタイル美術館などから資料を提供してもらいながら、その文様・色・織等を研究し、当時の品の再現からスタートした。
糸を手で紡ぐ。すでに紡績糸に代って久しい地でもう一度手で糸を紡ぐという事は最初中国の人々にはなかなか理解してもらえなかった。彼らには、手で紡いだ糸は不均等で美しくなく織り上がった緞通が歪んでしまうが、機械で紡いだ糸は均等で美しいという意識があったからだ。
この様に、デザイン・染色・織り・仕上げ、一つ一つのプロセスに大きな意識の違いが生じる。また幾度となく彼らに騙されもし、金銭的なトラブルも生じた。中国人と日本人、政治や文化の違う人間が同じ仕事をする事の難しさを痛感した。何度もやめようと思った。あまりのストレスに病気になった事もあった。
しかし途中で挫けそうになった時、ニューヨーク・メトロポリタン美術館の故ジーン・マイリー女史(オリエンタルカーペット中国緞通部門の学芸主幹)の、「私達の資料をあなたの重要な中国伝統緞通の再生プロジェクトに役立てて下さい」という私への言葉がずっと心の支えとなった。

数年後、私は互いに最も理解できる友、張力新氏と独立するプライベートな工房を設けた。湯希葦氏という寧夏出身の緞通作り60年というベテランを我が工房に迎え、若手の指導に当ってもらった。工人たった50名からの再スタートである。当然スタート当時には数多くの問題はあった。しかし今回は湯希葦氏を筆頭に全ての工人達が自分の仕事に誇りを持ち自分達の祖先の作った緞通に敬意を払っている。この事が全ての問題を一つ一つクリアしてゆく重要なポイントだった。


伝統の手法で創る現代の織物
真に優れたデザインは、何百年たっても美しい。私は、最も気品に満ち、洗練された緞通の織られた時代、明末期から清初期の作品に、とても魅力を感じる。したがって、これらの時代の緞通から、過去のものとしてではなく、現代のものとして再生するために、現代の感性でデザインしている。
素材となる羊毛の質は、織り上がった緞通の色、輝き、使い心地を左右する最も重要な要素である。 羊毛の中でも最高品質の、寧夏で飼育される中国の固有種である灘羊(タンヤン)の生後約三ヶ月の仔羊のバージンウールを使用している。この羊毛は、成長した羊の毛よりも、染め上がった糸に透明感があり、永年の使用に耐えることが出来る。
パイル糸は、手紡ぎ糸を用いる。手紡ぎの糸は、紡績糸よりも繊維どうしが互いにしっかり絡みつき堅牢な糸が出来る。手紡ぎ糸で織り上げた鍛通は、摩擦に強く、弾力性に富み、また手紡ぎ糸のもつ自然の太細が独特の趣を与える。
中国緞通の命の色は藍色である。この色を簡単な合成藍を使ってしまえば、当然真の中国緞通を再生したことにはならない。この事は全ての工人達が認識している。
琉球藍と同種で今や中国では漢方薬としてしかあまり使われる事のない馬藍(きつねのまご科)を貴州省で栽培し、沈殿藍を作り甘肅省まで運び、それを化学薬品を使わず、ア ルカリ度を増す為に蓬灰(麺を打つ時に使用 する天然水を作る材料)を用い、酒、麩を加え自然発酵させ藍を建てる。この藍を使ってこそ、かつてミッドナイトブルー・サファイアブルー・ムーンライトブルーのスリーブルーカーペットと評された美しい藍の中国緞通が出来上がる。
その他の色は、紅花・蘇芳(すおう)・大黄(だいおう)・槐(えんじゅ)・橡(つるばみ) 等、全て当時使われていたものと同じ天然の染料を使う。この場合も媒染剤にはいっさいケミカルな物質を使用せず自然に帰ることのできるもののみを使う。そうする事により互いが互いの色をひき立て合い融合する。
緞通のノットの結び方は、中国で古来用いられている左右非対称結びが用いられている。 緯糸は二本通しで、ノットは1フィート平方に約8,100ノット。日本では、結びが細かく多いほど良いカーペットであると見なしがちだが、明清のカーペットは1フィート平方に3,600から4,900ノットで、より自然な織り上がりで味わいがある。 必ずしもノットが多いほど良いカーペットというのは当てはまらないし、むしろデザインに合ったノットの数があると考えている。
私達の仕事は、明時代の緞通の再現からスタートしたが、それはノスタルジーからではなく、それを新しい物として再生する。つまり古来のすばらしい伝統を基礎に現代人の為に再びその技を生かし正しい中国緞通を作ることがコンセプトである。伝統の技は現代生活の中でごく自然に使われてこそ意味があり、結果としてその染織文化が後世へ伝わってゆく。 90年代のクラシック音楽やスタンダードジャズがそうである様に基礎を踏まえた上で変化しつつ存続して行く、そんなトラディショナルで、モダンな緞通を彼らと共にずっと作ってゆきたいと願っている。
MUNI代表 楠戸 謙二
【参考文献】
『染織α No.210 1998年9月号』 染織と生活社
『魯山人陶説』北大路魯山人 平野 雅章編
* * *